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だいたいはプロフィールのページに紹介しているので
少し絵ゲームやアニメなどを織り交ぜて年表のようにしてみた。
(スマートフォンでは狭く見にくいです)
なぜゲームやアニメを絡めるかというと、
「ハマった」とは、
世界観、音楽観が気に入ったということ。
なので直接僕に影響してます。
それでは始めます
金沢にて才能教育に通い始める
「バイオリンをやりたい」と言ったからだそうだ。
ある程度の素質があったのか、比較的成長が早かった。
有名なヴィヴァルディの協奏曲(Am)を弾く
アニメはドラえもんかな。
父が映画好きで、【グーニーズ】【エイリアン】【キョンシー】を見て怖くて夢にまで出てきた覚えがある。
思えば現代音楽への耐性も、このころから影響がある。
父の転勤のため大阪に引っ越す。
運動が好きでサッカークラブに入る。
猿のように一輪車を乗り回すことから「さる」と呼ばれた。
テレビゲームに興味を持ち始め、ゲームをやりたくて堪らなかった。
友達の家で唯々RPGゲームを眺める事が辛かった。
バイオリンは良い先生に恵まれる。
関西の子どものためのコンクールは3度出場、
3度最優秀賞と言う輝かしい成績だった。
【バッハのガボット】【バッハの協奏曲No.2 E♭】【ラフォリア】など、順当にレベルを上げる。
この間、視力が1.2 → 0.3になったが、
原因は練習ではなく【ゲームボーイ】だと思う。
以下、ハマったゲーム・アニメを書きだします。
ナイトガンダム物語/スーパーマリオランド1,2/ネメシス1,2/SaGa1,2,3/レッドアリーマー魔界村外伝1,2/スーパーロボット大戦/リトルマスター2/聖剣伝説FF外伝/メトロイド2/星のカービィ/魂斗羅スピリッツ
FF3/ドラクエ4/スーパーマリオブラザーズ3/レッドアリーマーⅡ/グラディウス2/ツインビー3/沙羅曼陀/機動戦士Zガンダム/魂斗羅/熱血高校ドッジボール部/ダウンタウン熱血物語/ダウンタウン熱血行進曲それゆけ大運動会/くにおくんの時代劇だよ全員集合
ドラゴンボール/姫ちゃんのリボン/
5年生から名古屋へ引っ越し
名古屋の超有名な先生につく。
このころには【ツィゴイネルワイゼン】【メンデルスゾーン バイオリン協奏曲】【序奏とロンドカプリチオーソ】など、大半の難しい曲を弾いていたが、それ程やる気もなかった。
名古屋学生音楽コンクールにも参加し【クライスラー コレルリの主題による変奏曲】で予選を突破したが、まさか通ると思っていなく、本線の曲を練習していなかった。理由はどうあれ本選は落選。
「バイオリンを習っている」というステータスは中学生たちには格好の茶化せる内容なのか、「ヴァイオいっさく」というひねりもないあだ名がつく。
ゲーム熱はさらに上がり、仮病を使って中古ゲームショップにいく始末。ゲームボーイ、ファミコン、メガドライブ、スーパーファミコンの代表的な格ゲーとロープレをやりまくった。
ゲームはロボ系とスクエア系に偏る。
特にRPGの戦闘の音楽が好きだったが、バイオリンで弾いてみようとかは考えなかった。
学業の成績が振るわず、両親の愛情あるススめで1年生の時にサッカー部を辞める。
2年~3年生のとき、【勉強】【ゲーム】【ヴァイオリン】から2択を迫られ
【ゲーム】と【勉強】をとったが成績は伸びなかった。
内申点 32 → 34(Max45)くらい。
FF5,6/ドラクエ5/スパロボ4/クロノトリガー/フロントミッション/スト2/超舞闘伝2,3/
かなり偏差値的には低い(50以下)ところに入る。成績が悪く普通科に入ったが、プライドが許さなかった。高校の特進クラスがあり、定員割れして募集していたので応募したらスルーで入れた。たぶんは入れなかったらグレていたと思う。勉強すれば上位に入れる感じだったので高1の後半からはほぼ1番の成績で優等生だった(井の中の蛙)
自分でイラストを描いてトーンを張ってNHK出版社に送ったら「読者のお便り」コーナーに採用されて限定テレカをもらう。
ヴァイオリンを辞めたおかげで音楽も好きになる。アニメの歌、BGMなどテレビから直接アナログ録音したりして楽しんでいた。
スレイヤーズ、セイバーマリオネット、逮捕しちゃうぞ、機動警察パトレイバー、ふしぎの海のナディア、Zガンダム、YAT安心!宇宙旅行、とべ!イサミetc
立命館や東京理科大なども受かっていたが
東京や大阪は人が多くて嫌いと決め混んでいて、
信州大学を選ぶ。
そして親元を離れ「自由」を知る。半年ほどは
「僕は遊ばず飲み会もいかずに勉学に励む」
という意思は1年ほどで終焉を迎えた。オーケストラサークルに入り、飲み会にももちろん参加。それまで辞めていたヴァイオリン熱に火が付く。
ここからはヴァイオリン馬鹿だ。
図書館に行ってはCDを借りてひたすら聴きまくり、マニアックな曲もほとんど聴いた。インターネットも栄え始めたばかりのころで、大学の研究室のパソコンを使って海外のサイトでいろんな楽譜を入手していた。
ヴァイオリンも普通の人よりは腕がたつのでコンサートマスターも経験。同時にPOPSヴァイオリンも知り、楽譜を探すがお金がなかった。葉加瀬太郎氏の「情熱大陸」「エトピリカ」を独学で耳コピ、アレンジをし始める。
就職を考える年齢になり、まだまだやりたいことがあったので音大に入りなおそうと親に打診するが、時すでに遅し。
リストラのあおりを受け失職していた。
という当たり前の条件でGOが出た。
(これはGOサインなのか?)
信州大学の教育学部の音楽教授を訪ね、ヴァイオリンを見てもらう。大学4年生になったころに進学希望の愛知県芸の教授を紹介してもらい、月1回のペースでレッスンに通い始める。すべての費用は家庭教師のバイトで賄っていた。
ピアノと楽典やソルフェージュはオケ仲間の人に勉強の仕方だけ教えてもらい、あとは独学で何とかやった。
はっきり言って、音楽高校などから進学してくる若手新進気鋭の人たちには勝てないと思っていたが、ヴァイオリン科のなかで2、3位で入学をした。ピアノなんて1年間ハノンとバッハのインベンションをひたすら弾いただけなので、よく合格したなと今でも思う。
ほとんど詐欺だ。
ちなみにゲームはヴァイオリンにハマりだしてからほとんどやっていない。アニメはほどほど。エイリアンを代表とするB級のホラー系の映画ばかり観ていました。なかでも印象的なのがゴキブリが人を食べるというもの。
入ったら入ったでビックリだ。
同期はほとんど4歳若い。みんなカワイイ!
とにかく練習して食らいつこうとしたが、自分の持っている楽器(セットで50万、入試でも使用)では同級生たちの100~500万クラスの楽器に音色で対抗できるわけもなく、教授の勧めで大学所有の楽器を無料で借りることになった(大学購入額140万だったと思う)
年上ということもあり、少しリーダー的(?)なのかコンマスやトップを任されることも多く、ここでもまたいろいろ多くのことを経験させてもらう。
やってみたかったことは何でもやった。
大学祭では県芸の弦楽器科史上初めて出店を出す。
1日中無料演奏していて、演奏で呼び寄せたお客にホットドックとコーヒーを売りつけるという商法だ。
アレンジも本格的に行う。常に弦楽四重奏を組んでいたので、J-Popや映画音楽を楽譜にして仲間とともに演奏した。中には、今でも「あの楽譜を売ってくれ」という楽譜も生み出す。
現代曲が好きだという噂が作曲科に知れ渡り、作曲家工房では常に意欲的な作品を演奏する。
室内楽最高位でかなり弾きこなした
卒業演奏会抜擢。何気に信州大学時代から弾いてた。
県芸初コンマス。指揮者の外山雄三氏がめちゃ怖かった。
成績もかなり優秀なほうだった。
親も収入がないということだったので奨学金制度を申請。
すると特待生か何かの制度で学費が全額免除になった。
これには感謝するほかない。
後に楽器購入の費用へむけて前向きに前進した。
さて4年になり卒業を控えてまたもや就職の壁にぶち当たる。
逃げてばかりだ。
でも26歳なのでもうさすがに遊んでられない。
(まじめに)
というわけで、就職=オケに入るという図しか知らない僕はプロオーケストラの入団募集を探し始める。とはいってもそうそうは募集が無いので時間オーバー。
大学の院には入らず研究生という形で籍を残してオーケストラ入団試験に向けて特殊な練習を始める。それとは別にアンサンブルなどの授業に出る。ここからは自費で大学に授業料を払う。
こうなると結構死に物狂いでした。
大阪フィルハーモニー交響楽団に落ちたけど
地元セントラル愛知交響楽団に合格。
これでやっと親に顔が向けられる。
大学の籍を残すと授業料を払い続けなければいけないので研究生は中退した。
大学で借りていた楽器は使えないので、在学中に家庭教師やら結婚式やらバイトしまくって貯めた100数十万円に親戚中の援助を募ってプロレベルの楽器をようやく手に入れる。
そして勤務が始まっても弓がまだセット価格で安い12万の弓だったのでローンで購入。数年で返済した。
オケに入ると演奏は楽しみではなくなってきた。
会社と同じで人間関係が超重要な仕事となる。
オケは仕事としてこなし、
音楽の楽しみは別で探し始める。
これはジャズピアニストから誘っていただいたんですが、僕の演奏が面白いのでそっちの世界に入らせようとアドリブを教えようとがんばってくれたのですが・・・・当時は全く分からなかったし興味もなかったのですごい適当にやっていたらいつの間にかお別れしてました・・・
今を思えばもったいないが、ピアノのアドリブがどうしても双方に生かせなかったのも事実なんですね。
実家を出て男2人で暮らしをし、いろいろと自主企画を企ててコンサートを開きましたが、生活のリズムが合わず、1年ほどで断念。
とくに集客に悪戦苦闘した時期でもある。
モーツァルトやヴェルディのレクイエムを室内楽用にアレンジしたりして、意欲作(?)をプロ奏者として世に出し始めていたころだ。
ちなみにこのころ、猛烈にアニメ「銀魂」にハマり、Youtubeで一日中観ていた。
大学の仲間と何回か室内楽を組み、和歌山と名古屋を行ったり来たりしていました。みんなもう結婚してバラバラになってしまったな。
ブラームスのピアノ五重奏やシューベルトの鱒をメインに楽しんだ。みんな元気かな。
139カルテットと名前を付けてセントラル愛知のメンバー4人で様々な仕事を請け負う。弦楽四重奏の楽譜はしこたま持っていたのでネタには困らなかった。
数年は活躍したが、楽団からのオファーが他の楽団メンバーに移り激減した当たりから活動が急速に低下。
やはり仕事がなければグループの存続は難しいかなという辛い現実を思い知った。
ひょんなことから出会ったアイリッシュフィドラー悠情さん。アイリッシュが好きだったのでよかったら一緒に演奏しないかという誘いを受け、ライブを一緒に出るようなる。
アドリブも彼から学ぶことが多く、ポップスの基礎を叩き込まれた気がする。マイクなどの音響機材やポップスとしての魅せ方など。多くを学びました。
期間限定でのお付き合いでしたが、ブルーノート名古屋でのライブや、葉加瀬太郎氏と共演を繰り返す日本を代表するフィドラー功刀丈弘氏との演奏など、ものすごい刺激になりました。
依頼演奏も増え、何とかオーケストラ正規団員ではなくても食べていける算段が付き、そろそろソロとして次のステップへ移るために退団した。
プロオーケストラからのゲストコンサートマスターも少しずつ依頼をいただくようになってきたのでほんまありがたい。
自分の楽団を立ち上げ、新たにアレンジをしつつライブ活動を行い始める。これまで培ったクラシック、ジャズ、アイリッシュなどのジャンルを織り交ぜたスタイルだ。
ちょうど今ここですね。(2017.12)
そろそろオリジナルを作ったりしたいと思い、打ち込みの存在は知っていたので機材やらソフトやらを集めてさあやるぞ!!というところです。
さしあたってヴァイオリンの録音を慣れたい。
そのため、宅録という自宅レコーディングを低価格で展開して勉強しつつ仕事を覚えていっていると頃ですね。
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